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7






雁字搦めに絡めた糸は
愛するが故の束縛の糸

互いが互いを縛り付け
もう此処から動けない

――本当の嘘吐きは だァれだ?
2013/10/06(日) 10:24 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

6

寝床について、冷えた足を、温めた手拭いで包んでやりながら、私は愛しい男の寝顔を見詰めた。
灰色に燻んで仕舞ッた髪を、そッと撫でる。指と指の間から、さらりさらりと零れていッた。彼の正気と同じ様に。
彼は、間違い無く私を愛してくれていた。芸もそれほど達者でもなく、身形もそれなりの私を、いッそ、溺愛と言ッて良い程愛してくれていた。彼の愛は屈折していた。私は、それでも嬉しかッた。こんなはしたない、汚い女を、これ程迄に愛してくれる彼の存在は、私の支えだッた。
しかし、彼の愛は、日を追う毎に狂ッて行ッた。
彼の両親が、病に伏せッて亡くなッた時、彼の眼は両親の死では無く、その朽ち行く体に向かッて居た。
彼は、御両親「だッた」体を持ッて、作業場に消えて行ッた。
丸一日後、私は恐る恐る彼の作業場を覗いた。
噎せ返る様な血の匂い。削ぎ落とされた肉が散らばッて斑になッた床。ざく、ざく、という、厭に耳に付く、切り刻む音。
白い手を深紅に染めて、彼は私を振り返ッて笑ッた。
「花夜。僕は見付けた。これは、大発見だよ」
 彼の手には、血塗れの骨があッた。
 其れはもう、人では無かッた。それは、ただの、物質だッた。
 彼は人間の骨に取り憑かれてしまッた。罪人が殺されるのを知ると、彼は迷わず私に遺体の引き取りに行かせた。飛び交う蝿、汚物の匂い。そして何より、死臭が厭だッた。私まで気が狂ッて仕舞う気がした。私は解体された人間「だッた」ものから、一つ一つ骨を抜いて行く。傷付け無い様にゆッくりと細心の注意を払いながら。血や、肉片が付いていない様に真ッ白に磨き上げる。私の手は薄汚い赤に染まッて行ッた。
 私が何故、そんな事を文句一つ言わずに続けて居たのか。その答えは実に明快だ。
 私も彼を愛して居たからだ。其れはきッと、狂気の程に。
 彼の頭が徐々に病に浸食されて行ッたのは、其れから幾許もしない頃だッた。きッと、人の死に介入しすぎて仕舞ッたからだ。彼は盲念に取憑かれる様に成ッて行ッた。私の愛を偽物だと決め付け、私に辛く当たる様になッた。私は全く以ッて、彼一人を愛して居たというのに。
 そうして、私が何時もの通り「材料」を回収に行ッて居た時、彼は本当に狂ッて仕舞ッた。家の近くにあッた高台から、身を投げた。その原因は、私には良く分からない。店に戻ッてきたら、其処には誰も居ず、近くに住む御客様から其れを聞いたのだから。走ッて行ッて、其の侭、と、知らされた。
 彼を見付けてから一週間程、私は傍を離れなかッた。そうして眼を開けた彼は、言ッた。
「君は僕の最高傑作だ。花夜。僕の人形。」
 何て素敵な言葉だろうと、私は痺れる頭で考えた。そうして、私は、其れからずッと、人形を演じ続けて居る。手に入れた睡眠薬を彼の食事に混ぜ、夜は起きない様にして、私は夜だけ人間になる。食事をし、風呂に入り、清潔を保つ。今日は薬が少なかッた様だ。
彼は私が人形である事を信じて疑わない。出来もしない技術が使われて居ると思い込んで居る。自分が何時「私」を作ッたのかも良く覚えて居ないと言う。狂気の沙汰だ。
私は生きている、しかし死んでいる。
私は彼を、そして自分を、嘘で塗り固め騙し続けて生きて行くだろう。
彼は私を愛して止まない。
私が居なくては生きて行けない。
何て、愛おしい。
私は、眠ッてしまッた彼の顔をそッと撫でる。長い睫、白磁器の様な肌。霞んだ空の様な灰色の髪。総て私の愛おしい物だ。
 もしも私が、彼の「糸」に縛り付けられていると云うのなら。私もまた、自分の「意図」で、彼に縛られているのだ。
 そして、同じ様に彼もまた、私に縛られて居る。見えない透明な操り糸で、四肢を、頭を、そして心臓を。彼の命は、私が縛っているのだ。
 嘘を吐き続けるのが苦しい訳では無い。私自身を愛してくれなくても、それでもいいのだ。私だけを見てくれるのなら。私しか、彼には居ないと思えるのなら。私という存在が、彼の中で消えて仕舞ッているとしても。
 篠の髪をそッと掬い上げて、さらりと静かに落とす。灰色の髪が、純白の布団に舞ッた。奇麗だ。泣きたくなる程。
 私は笑った。

「愛して居るわ、私の御人形さん」

2013/10/07(月) 10:23 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

5

『ねえ、篠。アタシ、貴方を愛しているわ』
そう言ッて笑ッた君は、僕を置いて居なくなッてしまッた。
また、次の朝が来る。僕は未だ夜の明けきら無い頃合い、目を覚まして、空を見上げた。厭な夢だッた。
降り続いている雪が、ゆッくりと、しかし確実に、世界を白に染め上げている。僕は、明け方の空の紫を映し出す雪面が見たくなり、羽織を着て外へ向かッた。花夜は、時間で動く様に設定しているので、今は自室に居る筈だ。僕は彼女の部屋の前を通り過ぎ裏口から外へ出た。
案の定、降り積もッた雪は随分な物になッていて、足が雪にめり込んで、じん、と冷たさが沁み込む。夜明けの紫が、白を包み込む様に立ち込めていた。奇麗だ、そう思ッた、
「花夜……」
僕は、無意識に「彼女」の名前を呼んでいた。花が咲く様な笑顔が、まだ瞼の裏に焼き付いている。真珠の様に零れる涙を、僕はまだ覚えている。僕の脳に、まだしッかりと「彼女」は存在している。
ひゅう、と、冷たい風が吹いた。靡いて視界を遮る髪を押さえながら、不意に向けた視線の先に、居る筈の無い女が立ッていた。
漆黒の着物。風に散る、闇夜の黒髪。空をただ空虚に見詰める、吸い込まれそうな瞳。花夜だ。起動時間では無い筈なのに、どうして。
僕は、頭の中で沸き起こる衝動を堪える事が出来なかッた。
冷たい雪が、足や着物の中に入ッてくる事など、気にもならなかッた。僕は駈け出した。花夜の元へ。
「花夜!」
叫んだ声が、空を切り裂く。花夜は、驚いた様に僕の方を見詰めた。
「御主人様、何故こんな所に。体が冷えて仕舞うではありませんか」
「壊れて仕舞ッたのか? こんな時間に外出するなんて」
僕は花夜を強く抱き締めた。花夜は人形だ。大切に扱わなければ壊れて仕舞う。だけれど、僕は止める事が出来なかッた。
「花夜、僕の花夜、何処にも行か無いでおくれ、僕の傍にずッと」
「御主人様」
「僕を嫌いになる花夜なんて要ら無い、僕を捨てる花夜なんて要ら無い、死んで仕舞う本物なんて要ら無い、だから君を作ッたんだよ」
僕の声は、もういッそ涙声であッた。
この人形は、僕の恋人だッた、芸者の花夜を手本に作ッた物だッた。
彼女は何時だッて、僕の事を暖めてくれた。無償の愛を注いでくれた。身請けをして、一緒に住み始め、僕の仕事を手伝ッてくれる様になッて、いずれ、そう、近い内にでも、婚儀を挙げる筈だッた。
なのに、彼女は僕を裏切ッた。
小さないざこざが続き、遂に僕の仕事の事で酷く言い合いになッた其の日の夜、彼女は出て行ッた。僕は其の後、高台から足を踏み外し、大分の距離を落下した。何日か経ッた後の事だッたが、実の所、記憶は曖昧になッて仕舞ッている。頭を強く打ち付け、生死の境を一週間ほど彷徨い、一命は取り留めたものの、僕が目覚めた時には、「彼女」は死んで仕舞ッていた。
僕の事を憎んだまま、僕の知ら無い所で、彼女は失われてしまッた。僕の花夜は失われてしまッた。しかし、僕には、人形があッた。
花夜の骨で作ッた人形。
死んだ花夜の骨を使い、骨組みを作ッて、其の物と同じ様に精巧に作り上げた其れ。
僕の編み出した技術は、死んだ人間の骨を使ッて、生きていた形其のままにヒトガタを作り上げるものだッた。もともと、人間を構成しているのは骨だ。其れを土台にすれば、原型に近いものが出来上がるのは当然の事。勿論、骨だけでは完成しない。厳選した別の材料も織り交ぜ、作り上げる。
人間の骨は、硬い。死んだ直後、体を「解体」し、余分な肉を削ぎ落とし、匂いも無くなる様に細部まで血肉を流し切る。そうすると、真ッ白で美しい、人間の「本質」が見えてくるのだ。手に滑らかで、歪みが無い。僕が其れに気付いたのは、自分の両親が死んだ時だッた。
そう、そして、僕は花夜を、解体した。其の時の事はよく覚えていないが、其れは酷く重大な作業であッた様に思える。
花夜は、僕が目覚めた時に傍に居た。僕は言ッた。
「君は僕の最高傑作だ。花夜。僕の人形。」
花夜は少しの沈黙の後、表情を変える事なく言ッた。
「はい、御主人様」
僕は花夜を愛した。人形である花夜を。生きていた時よりもずッと。
従順で、可愛い花夜。僕を嫌う事も、僕から逃げ出す事も、僕を厭う事も無い。老いる事も無い。醜くなる事も無い。
死んで仕舞う事も、無い。
狂おしい程の僕の愛を、一身に受け続ける花夜。愛おしかッた。これ以上何も要らなかッた。
僕を愛し返してくれない花夜。僕を抱き締めてくれない花夜。笑わない花夜。僕は其れでもよかッた。離れないのならば、僕の傍にいてくれるのならば、僕は僕の心を騙し続ける事なんて、訳も無い事だッた。
其れよりも。花夜が壊れて仕舞うなんて有り得無い。
「花夜、君は僕の人形だ」
「はい、御主人様」
「笑わなくて良い。誰にも微笑まないならば。愛さなくて良い、誰も愛さ無いなら其れで良い。抱き締めてくれなくても良い、抱き締める相手が他に出来無いならば其れで良い」
「はい、御主人様」
「だから花夜。僕の傍にいてくれ」
「仰せのままに、御主人様」
僕の頬に、一筋雨が降ッた。
凍り付いて仕舞いそうな程寒い中で、其れは厭に暖かかッた。
2013/10/08(火) 10:23 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

4

其れから一週間後、僕の人形は完成した。依頼主である彼は、きッちり一週間後、変わらぬ黒い着物でまた僕の店の暖簾を揺らした。花夜は、いつもと変わる事なく、静かに椅子に鎮座している。男が入ッてくると、花夜は少しだけ目を上げて、一礼した。男は笑ッた。
「完成しただろうか」
「僕は、約束は守るよ」
僕も笑ッた。花夜が立ち上がる。
「どうぞ、御客様」
静かな声が響く。僕もゆッくりと立ち上がッた。大きな人形は、店には展示し無い。仕事場とは別の、特別な部屋があり、其処へと案内する。今日も寒い。また、雪が降ッてくるだろう。
「どうぞ」
花夜がまた、同じ言葉を発する。扉が開いた。
「……素晴らしい」
彼は、言葉を漏らした。其れは、心の底からの言葉。緩慢たる動きで、彼は人形の頬に触れた。そッと。愛しむ様に。花夜は、其の様子を微動だにせず見詰めている。硝子の瞳には、一体何が写ッているのだろうか。
「これは、彼女そのものだ」
男の其の言葉に、僕は満足した。
預かッた材料を元に、僕は人形を作り上げる。肌も、瞳も、表情も、其の人間が生きていた時と何ら変わりの無い様に。
「君の喪中ももう終るね」
「……ああ、そうだな。これで彼女は永遠に此の世にいる」
くつくつ、笑みが浮かぶ。
僕の人形は、ヒトガタ、だ。
死んで仕舞ッた人間を、再度此の世に甦らせる。もう話さ無い。もう熱を発する事は無い。抱き締め返してくれる事は無い。だけれど、代わりに、「彼女」や「彼」は老いる事は無い。口汚く罵る言葉を吐く事は無い。自分の傍から消えて無くなる事は無い。失う事はもう二度と無い。
死んで仕舞ッた其の人を、此の世に繋ぎ止めておく糸。
其の人形を愛でる事が、愛でなくて何と言えるだろう。
此の世は狂ッて仕舞ッている。
そう、狂ッて仕舞ッているのだ。
2013/10/09(水) 10:22 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

3

すッかり暗くなッた店内で、ぼんやりと灯りを保つのはランプの中の蝋燭の光だッた。其の静止した揺らめきを見詰める。閉店後の、がらんとした空虚な店で、僕は一つ深い溜息を零した。そんな静寂を壊す様に、いや、壊すというよりも、静かに踏み込んでくる様に、花夜が暖簾を潜り、儚い霞の様な、消えそうに美しい姿を見せた。
「御主人様。只今戻りました。作業場の準備が整いまして御座います」
「ああ、分かッた。全く、この世は狂ッているよ」
僕は苦笑を浮かべ、花夜に従ッて家の中へと戻ッた。僕は、ふ、と灯篭の明かりを消した。其れに背を向け、暖簾の中に消える。
其処に残ッたのは、唯、沈む、闇だけだッた。
店を抜け、長い廊下を渡り、自室も通り過ぎると、其処には黒塗りの頑丈な扉がある。其の錠前を開けられるのは花夜だけだ。がちゃり、と、大きな重い音がして、南京錠が外れる。中に広がる世界は、日常から遠く離れて仕舞ッていた。
其の部屋は、六畳ほどで作られている。四面、床、作業机に至るまで、防腐や防虫の役割を持つ漆で塗り固められ、闇の中にいる様な感覚を覚える。差し込む明りは、鼻を掠める生臭い匂いを拡散させるため、高い所に開けられた通気口からの光だけだ。
其の中で、人形の骨組みに用いられる、真ッ白な材料だけが異質だッた。僕の人形は、其の部位によッて非常に細かく材料が分けられている。くすまぬ様、折れぬ様、非常に注意深く磨き上げられた其れを、種類別に分類するのは、昔から花夜の仕事だッた。
扉の前で控えていた花夜が、一礼をして外へ出る。僕は、例え人形の花夜と云えど、仕事を見せる事は無い。花夜は、話す事が出来る。其れはつまり、漏洩の危険があるという事だ。僕の人形は、緻密で、精巧な、特別な技術を持ッて作られている。其れは、より「本物」に近付けるため、僕が独自に編み出した技だ。
僕は、生きとし生けるものを信じ無い。あの日から、僕は人を信じる事を止めた。信じれば裏切られる。得ようと思うから、苦しくなるのだ。だから、僕は、其の一切を止めた。花夜は、僕の人形は、僕しか見無い。其れは、至上の幸福。人間なんて、下卑た生き物は、もう要ら無い。
僕はそッと、白に手を伸ばす。其れは、硬く、脆い。そして、美しい。
僕は一つ息を吐くと、ゆッくりと其の材料たちを、組み上げ始める。
2013/10/10(木) 10:21 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

2

店に続く暖簾を潜ると開けるのは、明るいいつもの風景。
硝子の間の木格子で出来た引き戸の隙間から漏れる朝の光。人形の陳列する机。棚。そうして、僕の机の隣に置かれた、僕特製の細かな細工をしてある、真ッ赤な漆塗りの椅子に腰掛ける花夜。
ごーん、壁に掛けられた振子時計が僅か間の抜けた様な音を鳴らす。
「さて、今日も店開きだ」
十一時に店開きをし、夕方五時には閉めてしまう。此の日もそうだッた。僕の人形は、いつも作ッた其の日の内に、すぐさま売れてしまう。売上金を持ッて、花夜が材料の調達に行く。其れが僕らの常。
閉店間近に、積もる雪の中夕暮れの蜜に溶ける様に表れたのは、やはり常連の男だッた。すらりと長い身体を揺らして、暖簾を潜る。
「やあ、主人。良い物は入ッたかな」
「さてねえ。貴方の気に入る物が在るかどうか。でも此処は、出逢いの人形屋だからね。貴方が惹かれるものも、在るかも知れ無い」
僕は笑顔でそう言ッた。僕は彼の名を知ら無い。彼は僕の名を知ら無い。知ッているのは、互いの顔と、声。唯、其れだけ。
男は何時も、真ッ黒な衣装を身に纏ッていた。町を歩けばさぞや目立つだろう。僕は初めて遇ッた時そう言ッた。男は笑ッて、いいや、と言う。世も末だと僕が笑ッた。二人はそうやッて知り合ッた。
「君の可愛いお人形は、元気かな」
「嗚呼、相変わらず、美しいよ」
「其れは何より」
男は棚に並ぶ、小さな人形やら、装飾品やら、古ぼけた目玉やらを物色しながら、言う。僕は男の背に語り掛けた。
些か皮肉交じりの笑みを其の端正な顔に浮かべて、男は言ッた。
しんしんと、雪が降ッて居る。
「しかし、君の人形は、本当に良く出来ている。あれは、売値にすれば幾らになるのだろう。引き取り手は、引く手数多では無いのかな?」
「あれは売り物じゃ無いんだよ」
「そうかい」
「あれはね、僕の生きて行く総てなんだ。二度は作れ無い。もう二度と。彼女は生まれ無いのさ」
「君の其れは、束縛なのかな?」
「さあ、どうだろうね? 少なくとも――世の中が言う、愛情とは、大分掛離れて仕舞ッた様には思うけれど」
 僕は笑ッた。そうかも知れないと思ッたからだ。束縛。そうかもしれない。僕は、彼女を縛り付けて居るのかも知れない。
「では、私の依頼も受けてくれるだろうか」
「勿論だとも」
「これを、作ッて頂きたい」
「一週間」
一つの包みを受け取り、僕の言葉はゆッくりと空気を揺らした。男は皮肉を引ッ込め、薄く笑ッた。帰るとしよう、そう言い捨てて、男は硝子戸の奥の闇に消えて行ッた。
2013/10/11(金) 10:10 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

1

ちゅん、ちゅん――雀が鳴いている。開け放した格子窓から見える青い空。雲が流れている。雪が積もり、一面を銀色に染め上げていた。嗚呼。今日も平和だ。僕は微睡みの底から、其の様を見上げていた。
藍色の羽織から覗く日に焼け無い腕は白く、異人の如くな灰色の髪は緩くうねッている。傍の小机の上から、銀縁の眼鏡を取ッて其れを掛けようと、引出しに手を伸ばした。
ぱた、ぱた――足音がする。引き戸がゆッくりと開かれ、部屋に入ッて来たのは背が高く可憐な少女。漆黒の着物に散る長い黒髪は右上で結わえられ、桜を模した簪が煌めく。大きな瞳は闇の色。
「御主人様、開店の時間で御座います」
「ああ」
其の、可憐で赤く艶めく唇から漏れる洗練された言葉。僕は満足して微笑み、ひんやりと冷たい彼女の頬に触れた。
「花夜(はなよる)。お早う」
「お早う御座います、御主人様。花夜は嬉しゅう御座います」
花夜は、其の侭一礼すると部屋を出て行ッた。寸分乱れる事の無い歩幅。僕は一つ溜息を落とし、布団を払い除け、漸くという形、畳の上に胡坐を掻いた。乱れた髪を撫で、体裁を整えながら僕は花夜を見遣ッた。
今日は晴天。外に出るには、良い天気だ。
僕は花夜の出て行ッた扉を閉めず、流れる空気に笑みを浮かべて、仕事の待つ部屋に行くべく準備を始めた。
僕、東雲篠(しののめ しの)はこの家に花夜と二人で住んでいる。広くも無いが、狭くも無い木造の家。この町では中の下といッた佇まい。僕はこの家を気に入ッていた。
僕の仕事は、人形技師。注文を受けて作る事もあれば、僕の気の向くままに制作する事もある。大きな人形から、小さな人形まで。絡繰人形や、非可動式人形まで。何でも請け負う。其の代り、其の人形に見合ッた報酬は貰ッている。人形作りには、金と手間が掛るのだ。しかし、おかげで、僕はこの業界では随分と名を上げる事が出来ている。其れも、助手である花夜の力が大きい。
花夜は、僕の作ッた最高傑作だ。音声を認識する装置、全可動式の手足、絡繰起動式で、内部の部品が壊れるまで、半永久的に動く事が出来る体。内部の装置の熱で、僅かながら温度を感じる事も出来る。花夜以上の人形は、此の世に一つと無いだろう。
2013/10/12(土) 10:29 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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